障害者でも受けられる整体、健康サポートのバリアフリー
やっと今のこの状態を真に受け入れることができて、障害を持っている方でも利用できる整体、健康サポートのバリアフリーをやってみようという気持ちになりました。
自分が障害者だと心から受け入れるまで32年かかりました。
吉本幸司、障害者になる
中学2年生のとき、交通事故に遭って、脳挫傷、頭がい骨骨折、硬膜外血種、てんかん、高次脳機能障害、左半身麻痺を患いましたが、今、現在、ほぼ五体満足、身体を動かすことができています。
なぜ、今、左半身麻痺、てんかん、高次脳機能障害の状態からほぼ自由に身体を動かすことができるようになったのか?自分が知っている限りで書いていきたいと思います。
文章があちこち跳んでしまい、読みにくいかもしれませんが、ご了承ください。
交通事故のあと、どのような状態だったのですか?
交通事故がきっかけで、脳挫傷、頭がい骨骨折、硬膜外血種、てんかん、高次脳機能障害、左半身麻痺を患いました。
中学2年から3年にかけては、高校受験も控えていたので、勉強も大変な時期でした。
当時は、なかなか歩くこともできず、頭痛などの後遺症もあり、学校を休みがちになります。
高校受験どころか、中学を卒業できるかどうかもあやしかったのです。
しかし、中学の担任や、中学校いるすべて先生を巻き込んで、僕の学習のサポートをしてくれました。
放課後残って、補習をしてくれたのです。
また、担任の先生の勧めもあって、希望校に推薦して頂くこともできました。
先生や同級生の助けもあって、無事に高校進学することができました。
自分のもっている力以上のこと、無茶をやろうとすると身体はこわれる
高校に進学し、僕は無茶苦茶なことを行います。
それは、部活としてはきつい、ハードな野球部に入部したのです。
なぜ、野球部に入部したの?
それは、中学3年生の時に亡くなった父との約束だったからです。
父との約束を果たしたい、この思いだけで、後先考えず、野球部に入部しました。
しかし、もともと、野球部に入部してもろくろく練習できる体ではありません。
なんとか粘って、みんなについていきたいという思いで、夏休みの練習は、ほぼ毎日自転車で1時間くらいかけて通っていました。
なんとか高校1年の3学期まで野球部に在籍することができました。
野球部を辞めるきっかけの出来事がありました。
それは、「てんかん」です。
高校内で階段を上っているとき、
「バターン」
と倒れたのです。
また、高校1年生の後半から後遺症の頭痛や吐き気が強くなり、授業に出れなくなりました。
急に身体の状態が悪化はじめたのです。
高校1年の3学期のとき、副担任の先生が、「養護学校で療養しながら勉強してみないか?1学期は身体を休めて2学期帰ってくればいいじゃないか」
と提案されましたが、このときはまだ、
「なぜ、養護学校に行かなければいけないの?」
「自分は障害者ではない」と思い、養護学校に行こうかどうか悩みました。
結局、
親戚や母の知人に相談して、「養護学校で身体を休ませながら、高校の単位をとったほうがいいんじゃない」という結論にたどり着き、養護学校に通うことにしました。
身体の変化、体調の悪化は数年たってから出てくる?
交通事故に遭った中学2年、3年のときはあまり、身体の状態は悪くなかったのですが、
本格的に悪化したのは、事故後3年ぐらい経った時からです。
身体全身が氷のように冷たく、唇は紫色、手の力は入らなくなり、洗顔する時、手の指がくっつかないため、指と指の間から水がこぼれ落ちて、顔も自分一人では洗えない状態でした。
また、目には力がなく、ぼんやりしている状態が続きました。
ご飯はもちろん、スプーンです!と言いたいところですが、
スプーンを持ち上げる力もなかったため、素手で食べていました。
急に悪化していったのですね。
※左半身麻痺なのに、なぜ、右側、右手に力が入らないの?
突然なのですが、左側と同じくらい右側の麻痺状態も進んでいました。
どん底のような状態から、どうやって今の状態になったか?身体を回復させていったのか?
骨格調整の整体を行ってどう変わった?
それは、整体です。
まず、骨格調整から始めました。
骨格が調整されると、血液が動き出します。
血液が動き出すと、筋肉に力が入るようになります。
血液が動き出すと、体の中の汚れ、老廃物を身体の外に出す力が働くようになります。
身体の回復には、骨格調整が欠かせません。
これは、僕の持論です。
骨格調整の整体を行ってどう変わった?
一番うれしかったことは、自分1人でも行動できるようになったことです。
今では、1人で旅行に行けるようになりました。
数年前までは、バス、電車、フェリー、飛行機など乗り継いで北海道にも行ってきました。
現在も、1ヶ月に数回、汽車、バスを乗り継いで、福岡に行ったり、大阪、広島に行っています。
1人で行動できるってうれしいですね。
こんな些細な、当たり前のことのように思いますが、今振り返ると、よろこびの一つですね。
ただ、時々、駅のトイレに財布やリュックを忘れるので、
今では財布はショルダーバッグに入れて、トイレに行っても外さないように工夫しています。
リュックは大きいものを選んで、常に目につくところに置いています!
僕も障害者です。
これまでは、障害があることにどこか恥ずかしめがあって、障害を前面に出してこれませんでした。
しかし、これからは、自分は障害者である、障害者であることに誇りを持ちつつ、
障害者でも受けられる整体、健康サポートのバリアフリーを広めたいなと思っています。
障害者の治療の場は、病院だけではない!
「整体という世界もあるんだよ」
健康サポートのバリアフリーのテーマ
健康サポートのバリアフリーのテーマは「家族円満」です。
家族の中で1人、病で倒れる方が出てきたら、その瞬間、これまでの家族生活がガタガタとくずれていきます。
それを実体験で知っているので、僕の整体のほんとうの目的は
「家族円満」な生活を送れる人生を提供すること、
ここにあります。