高次脳機能障害と向き合う~忍耐が育む回復への勇気

 高次脳機能障害を患ってから、早くも35年が経ちます。

13歳の時、家族と一緒に車で出かけた帰り道、
大きな事故に遭いましたその事故が、僕の人生を大きく変えることになったのです。

事故の詳細はほとんど覚えていません。

目が覚めたかと思えば、すでに病院のベッドの上でした。

僕は助手席で寝ていました。

車が横転した時に、頭をコンクリートにぶつけて激しい衝撃を受けました。

幸い命に別状はありませんでしたが、
頭蓋骨を骨折して脳に大きなダメージを受けていました。

入院期間は短く1か月の入院で済みました。

しかし、退院後は記憶障害や注意障害、
運動機能障害などの症状に耐える日々が続きました。

少しずつ症状が和らいでいったものの、学校の授業についていけない、
友達との会話がうまくいかない、約束を忘れてしまう、歩けない、
日常生活のあらゆる場面で困難を感じました。

高校は普通高校になんとか進学できましたが、
後遺症がひどく授業にほとんど出席できませんでした。

1年の時はなんとかギリギリで単位を取得できましたが、
高校2年生の時、学校でてんかんで倒れ、担任の先生の配慮で、
途中から養護学校(現在の特別支援学校)に転校することになりました。

当時は、「なんで僕が?」と悔しさでいっぱいでしたが、
今思えば、そこで得た経験や出会いが、その後の人生の大きな支えとなりました。

少しずつではありますが、症状の改善を実感できました。

今では自営業で整体の仕事をしていますが、
20代は就職活動をしていました。

早速、就職の壁にぶつかりました。

てんかんや障害があるということで、面接さえしてもらえず、
何度も挫折を味わいました。

でも、諦めずに挑戦し続けました結果、
障害者雇用枠で整体師として働くチャンスを得ることができました。

しかし、入社すると、やっぱり思うように仕事ができず、
3か月ほどで退職することが多かったです。

30代になると、就職ではなく自宅でできる仕事を探すようになりました。

自分の経験を活かした整体の仕事やカウンセリング、
そして、ワードプレスを使ったホームページ作成、
自分の経験と知識を活かした活動を始めました。

自分の経験を語ることで、多くの人々に希望を与えられることに喜びを感じるようになりました。

そして今、48歳。35年という歳月を経て、
僕は多くのことを学び、成長することができたのかなとすこし実感しています。

高次脳機能障害の克服は簡単ではありませんでした。
困難なことはまだまだたくさんあります。

Googleカレンダーやいつも目に触れるところにカレンダーをおいて、
毎日のスケジュールを確認するなど、自分なりに工夫を重ねながら生活しています。

振り返ってみると、あの事故によって失ったもの、苦しかったこと、
たくさんありますが、得られたものも数え切れないほどあります。

人間関係、自己理解、そして人生の本当の価値に気づくことができました。

13歳の時、僕は絶望の淵にいました。

今では希望に満ちています。

確かに、完全に元の状態に戻ることはできていません。

それでも、新しい人生を切りひらくことができました。

最近では、論語を学び始め、論語を教える塾を開きたい、
新しいアイデアも出てきています。

自分の経験を通じて、同じような障害を持つ人や
その家族のサポートをしていきたい、この気持ちでいっぱいです。

高次脳機能障害に関する啓発活動にも力を入れていきたいと思っています。

お力になれるのであれば(未熟ですが僕でよければ)
講演を行っていきたいです。

35年という歳月は長いようで短く感じます。

でも、その一日一日が、僕を今の自分に作り上げてくれました。

これからも、日々を大切に、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。

そして、交通事故による高次脳機能障害とともに生きる人々に、
希望の光を届け続けていきたいと強く感じています。

50歳を目前に控え、これからの人生にも期待と希望を抱いています。

障害があっても、充実した人生を送れることを、
自分の姿を見せていきたいと思います。

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